現採十色

体験者たちが語るホントのトコロ

CASE05:フィリピン/営業【拝見、現採LIFE- 休日】

 現地の施設やサービスを利用して休日を満喫

 地元食材を活用して自炊

私は基本的に、食材をスーパーで買って自炊していました。仕事に慣れるまでは、帰宅する前に近くのフードコートがあるスーパーでローカル色やファストフードを食べていましたが、塩分が多いのと、野菜をもっと食べたかったので生鮮食品を現地のスーパーで買っていました。日本食は持ってきたものや、家族が送ってくれたインスタント味噌汁が活躍しました。お米は現地のものと、日本米を半々の割合で入れて炊いたり、ピラフにするときは現地のお米を使ったりしていました。基本的に日本人向けスーパーには行きませんでした。家から歩いてすぐのところに大型マーケットがあったのと、物価が全然違うからです。これはどの国にも言えると思いますが、日本から輸入したものはとても高いです。

 

日本人向けの小さな図書館を重宝

現地の日本人コミュニティで作る小さな図書館があったので、そこで本を借りたりして今いた。その図書館は、日系クリニックに併設されていたので、ちょっと風邪を引いた時に寄ったりする際に、本も借りていました。DVDもあったので、私は毎週DVDを借りていました。借りている部屋には大画面のテレビがついていたので、くつろげたからです。週末は、だいたい普段より1時間遅めに起きて、まず朝食を食べてからランニング(朝や昼の公園は健全な人の目が光っているので危険の心配はありません)に行って汗をかき、そして帰ってきてからショッピングに行っていました。現地人彼氏がいたので、彼と一緒に食事に行ったり、ドライブをしたりもしました。映画館などでは、英語のまま映画が楽しめるので、英語力の向上にもつながりました。たまに、お隣に住む現地人の女性(50代で母親と同年代でした)が、ショッピングや映画に誘ってくれたので退屈はしませんでした。日曜は近くの教会に行ったりもしていました。キリスト教国ならではだと思います。

 

興味ある情報はフリーマガジンで

私は日系企業の集まるビルで働いていたので、フィリピンプライマーというフリーマガジンを配布されることもありましたし、口コミで美味しいお店や良いマッサージ店を紹介してもらうことがよくありました。フリーマガジンはウェブ版もありましたので、休日前の金曜日の夜などに見て、面白そうなイベントがないか探していました。現地に住む20代の集まりに参加して、どの店がいいかなどの情報交換もしました。あまり日本人同士で集まることを好みませんでしたが、やはり同じ日本人同士で助け合うこともできますので、一定の距離感を持って仲間を作っておくと、いろんなことを知れると思います。マカティシティにあるレガスピビレッジにある日本人のよく集まる居酒屋のある場所などは、ほぼ接待や、上司のおごりでしか行きませんでした。

(R.N)

 

《R.Nさんの就労時の基本情報》
就労国・都市:フィリピン・マニラ首都圏マカティシティ
業種:日系化学商社
職種:営業
期間:2012年5月-2014年3月
年齢:26歳(就労開始時)
結婚:独身(女性)

 

その7【一時帰国の現採】に続く >>

 

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CASE05:フィリピン/営業【拝見、現採LIFE- 住居】

危険があることを忘れず、対策は万全に

少し高くても安心できる住居へ

私の現地での生活は、フィリピン人の人事の女性が徹底的にサポートしてくれました。また、同じく現地採用として働いており、フィリピンに永住権を持って住んでいる日本人男性が、あれこれと各種支払いの方法などを教えてくれました。私は現地入りして10日間はホテルに滞在し、その間に人事の方が私の伝える予算と希望から予め見繕ってくれていたコンドミニアムに案内してくれました。私の部屋はだいたい30,000ペソで、日本円にすると60,000円強です。
私のコンドミニアムは現地採用にとっては少し高い方です。お給料も高い方でしたので、ここに住むことができました。24時間セキュリティガードのいるところでないと危ないということで、これくらいは仕方のない出費だと思います。

 

安全のため社用車での通勤が会社のルール

コンドミニアムから会社までは、治安上の問題から、毎日社用車で通っていまいした。ルールとして、基本的には行き帰りは社用車を使うことが義務付けられていました。たまに車が全部他の日本人スタッフが使用していて、帰れない時はタクシーで帰りましたが、逆に道が混雑しているので歩いて帰った方が早かったです。
現地スタッフは「ジプニー」というバスに乗って行き来しますが、バスジャック事故なども頻繁に起こるということで、私は1度しか乗りませんでした。それも同僚と一緒にです。小綺麗な服を着た日本人が乗り合わせていると、スマートフォンから財布まで全て奪われてしまってもおかしくない治安です。

 

治安については最大限注意

基本的にフィリピンは、治安が悪いことで知られていますが、マニラ首都圏の中のマカティシティは外国人も多いので、政府が力を入れて治安改善に努めているようです。ですので、どこのデパートに行っても、警備員がライフルを持ってドアを開け閉めしています。最初見たときは正直びっくりしました。しかし、テロ事件などもあったので、仕方ないことです。あまり多くの人が集まるところに行ってはいけない、中華街は治安が悪いということは、そこに住む日本人なら誰でも知っていることでした。また、接待などで遅くなる時も必ず私を先にコンドミニアムまで送ってくれてから、他の上司が帰ったりしていました。日本のように女性一人で夜中に外を出歩くことは、とても難しいです。また、花売りの少年や少女が来ますが、彼らのバックにはマフィア組織が潜んでいるので、哀れんで花を買ったりすることはしないほうがいいと教えられました。

(R.N)

 

《R.Nさんの就労時の基本情報》
就労国・都市:フィリピン・マニラ首都圏マカティシティ
業種:日系化学商社
職種:営業
期間:2012年5月-2014年3月
年齢:26歳(就労開始時)
結婚:独身(女性)

 

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CASE05:フィリピン/営業【郷に入る現採】

ベストをつくすが、ムリはしない。フィリピン流仕事スタイル

トラブルが日常。フィリピンではお客様も寛容

私は日系企業を担当する営業として採用され、他の営業マンと同じように取引先に顔を出しては、発注書を作ってオーダーをかけるという毎日でした。しかし、うまくいかないことももちろんありました。マニラ港に船がドッキングできないほど混雑しているので、船に抜港(戻ってしまうこと)されることもありますし、荷下しする場所がないので、いつまでも倉庫に荷物が搬送されないというアクシデントも起こりました。日本と異なる点は、そういうアクシデントをある意味「仕方ない」と割り切らねばいけない精神です。良かったことは、取引先のお客様も、それを理解して下さっていて、協力してくれた点です。ローカルスタッフにオーダーを出すときは、なぜ今このタイミングで、この量を発注しなければいけないのかと論理的に説明することでギリギリ間に合えばいいという考えから抜け出せました。

 

フィリピン人はチャレンジ精神にあふれ、合理的

日本と異なる点は、やはりインフラ設備がまだまだ追いついていないので、荷物が到着しても降ろす場所がないという問題もあります。また、道が混雑していて遠くの倉庫へ運ぶのに時間がかかる点です。マニラ港の問題は、製造業や、製造業と取引している企業にとって大打撃です。商習慣の違いですが、フィリピン人の方が新しいことにチャレンジしたがっていると思います。新しい原料を使って生産してみたいなどの提案がありました。しかし、社長など幹部層が日本から来た駐在員の方が日本の古い商習慣に固執しているという点もありました。なんでも担当者のサインが必要で、その担当でなくてもできることを割り振って仕事しないという点がありました。例えば、発注書に必要なサイン。営業部の人間であれば部長でも課長でもどちらでもよく、その顧客の担当者がしなければならないものではありませんでしたが、担当者にこだわるのが日本人です。それに対して、フィリピン人スタッフは「どうして手が空いている人がサインしないの?」と口にしていました。私はこれを当然だと思います。急いでいて、代わりにできる人がいるのなら、そうした方が効率的だからです。

 

仕事は集中、おやつの時間「ミリエンダ」で息抜き

あくまで私が働いていた会社でのことですが、ローカルスタッフは全員少なくとも大卒で、タガログ語やセブアノ語はもちろん、公用語である英語も達者です。そして、日本企業の転職経験がある人が多かったです。仕事に対しては真面目ですが、うまい息の抜き方を知っています。だいたい3時か4時になると「ミリエンダ」という休息時間をとります。スペイン文化が残っているので、昼食を食べた後の軽いシエスタもありました。「ミリエンダ」の時間には、クッキーや小さなパンを食べたりします。職場のキャンティーンで悩みを相談しながらおやつを食べて、定刻まで頑張るのがフィリピン流でした。

(R.N)

 

《R.Nさんの就労時の基本情報》
就労国・都市:フィリピン・マニラ首都圏マカティシティ
業種:日系化学商社
職種:営業
期間:2012年5月-2014年3月
年齢:26歳(就労開始時)
結婚:独身(女性)

 

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CASE05:フィリピン/営業【現採の仕事場】

地道な顧客訪問から現地英語も営業も学んでいった

初めての営業は同行から

私の勤務時間は朝の8時半から17時半で、休憩は昼の12時からの1時間です。近くにはコンビニもファストフード店もありましたし、オフィスの入っているビルには食堂もありましたので便利でした。
仕事の内容は、プリンターや両替機に使用されているグリセリンなどの化学品の輸入と販売です。私は営業部に配属され、そこで初めて営業という仕事を学びました。最初の2ヶ月ほどは、上司や周りの先輩方に取引先に連れて行ってもらい、横で話を聞いてメモを取っていました。

 

進出日系企業の経営層と話ができる人材として期待

上司が私でもできると判断したグラフの作成などの資料作りは、適宜私に回してくれました。いったいどの商品がどれくらい売れたかを日本本社に報告しなければなりません。まだ商材のこともよくわかっていないうちは、それをやらせていただきました。そうして商材や、売れ筋のこともわかってくるようになったので、幾つかの顧客を引き継ぐことになりました。とにかく日系企業の進出が多く、日系企業の経営層と話ができる人材が欲しいということで現地採用の日本人を欲していたらしく、私は上司の顧客の一部を引き継いで担当するということになりました。足繁く通い、どの材料がいくらぐらい使用されているか、次の月の生産見込みはどれくらいかを取引先の現地スタッフと話し合う中で、語学スキルも上がりました。営業で使う用語だけでなく、専門的な化学の用語や営業トークに使う英語も習得して行ったのが3ヶ月目くらいです。

 

タグリッシュは業務を通して習得

やはり英語が公用語と言っても、タグリッシュと呼ばれるようにタガログ語と英語を混ぜて話す方が多いです。Thank you very muchという表現は、Thank youよりも丁寧な表現ですが、これを現地の英語で話すとThank you poとなります。タガログ語のpoは敬語の表現にあたるので、よくこう言った表現を使っていました。月に一回ある定例の営業会議は、皆キチンとした英語を使用しておりましたが、日常英会話ですと皆混ぜて話しています。
出張ですが、私は出張の仕事はなく、ルソン島という北部を拠点にしており、日帰りで帰れる範囲で行動していました。ですので、一番遠くても片道車で3時間です。そこまで遠いところに営業をかけに、車で行くということはそれなりの対応が必要です。取引先に信頼してもらえることが何より大事でしたので、最初は数字が取れなくても、顔を出して覚えてもらうことから始まったのです。

(R.N)

 

《R.Nさんの就労時の基本情報》
就労国・都市:フィリピン・マニラ首都圏マカティシティ
業種:日系化学商社
職種:営業
期間:2012年5月-2014年3月
年齢:26歳(就労開始時)
結婚:独身(女性)

 

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CASE05:フィリピン/営業【現採のはじめ方】

海外就職は簡単。問われるのは本当に海外で働きたいかどうか

国内の求人サイトから応募。海外就職はもう身近に

私は海外就職専門のサイトを後で知りましたが、リクナビネクストやマイナビなどの就職サイトを利用しました。転職者向けのサイトで発見し、応募したのです。日本人の現地採用者を求めている企業は、こう言ったサイトでも募集しているようでした。必ずしも、転職が日本国内だけではなく、もっと視野を広く持てるという時代なのだなと感じて驚きました。そうして、二次面接(最終面接)を受けて、渡航の意思を確認され、私は無事に内定を頂きました。渡航までは、1ヶ月の猶予期間をもらい、日用品を揃えたり、国民保険や年金制度から抜けるため区役所に行ったりして、出国の準備に追われていました。

 

面接の焦点は渡航の覚悟があるか

二次面接が事実上の最終面接で、日本にたまたま出張で帰国している上司にあたる方と面談しました。私はその面談で3時間ほどの時間を割いていただき、本当にフィリピンで働く覚悟があるかどうかを試されました。まだ行ったこともない国に働きに行くというのは、第三者から見てもとても大変なことだったのだと思います。家族の同意なども得られているか確認されました。そして、最終的に内定をいただき、就労の手続きに入りました。就労に関することは、すべてフィリピン人の人事の女性とメールでやり取りしており、就労ビザは入国後3ヶ月ほどで取得できました。就労ビザは大学の卒業証明書、履歴書が必要でしたが、無犯罪証明書は不要でした。なかなか混雑しているのか、すぐには貰えませんでした。そのため、入国から就労ビザが得られるまでは帰国できませんでしたので、あらゆるものを日本から持ってきました。洗濯物を乾かすタコ足ハンガーなどの100円均一で買ったものは大活躍しました。保険は海外旅行保険に会社負担で入っていたので安心でした。海外旅行保険を会社が負担してくれるか、くれないかはとても重要だと思います。もしないようでしたら、年間に10万円ほどが別途必要になると考えた方がいいです。特に歯科治療は対象外ですので保険約款をきちんと読まないといけません。

 

海外といえど結局は人との相性

給与ですが、私は日本円に換算して約23万から25万円ほどを貰っていました。現地通貨のフィリピンペソ立てで貰っており、銀行の預金口座もペソとドルの2つを作っていました。海外送金やコンドミニアムの家賃代などはドルで払っていましたので、ドル口座も必要だったのです。ドルの換金場所は家から近いショッピングセンター内の両替所や銀行で行っていました。
この会社に決めたのは、上司となる方がとても真摯に話を聞いてくれた点です。また一次面接の際にも、とても雰囲気が合うと思いました。フィーリングや直感は結構重要だと思います。この人と仕事がしたいな、と思わせることも重要ですし、こちらが思うことも大切だと思います。無理をしてまで合わない人と、海外で働くことはないと思います。自分が楽しめる環境は絶対に海外必要です。

(R.N)

 

《R.Nさんの就労時の基本情報》
就労国・都市:フィリピン・マニラ首都圏マカティシティ
業種:日系化学商社
職種:営業
期間:2012年5月-2014年3月
年齢:26歳(就労開始時)
結婚:独身(女性)

 

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CASE05:フィリピン/営業【どうして現採?】

これまで行ったこともないフィリピンでの就職を決めたのは、求人サイトで最初に見つけた現地採用案件がきっかけ。不安要素は数あれど、それを上回る希望を抱いて海外に飛び込んだN.Rさん。直感で選んだ進路。一体どんな経験が待っていたのでしょう。

 

《R.Nさんの就労時の基本情報》
就労国・都市:フィリピン・マニラ首都圏マカティシティ
業種:日系化学商社
職種:営業
期間:2012年5月-2014年3月
年齢:26歳(就労開始時)
結婚:独身(女性)

 

海外への気持ちを抑えきれずに

フィリピン就職は直感から

私は大学院卒業後、海外で一度は働いてみたいと思いながら法務事務所で働いていました。海外志向は強いものの、なかなかどうやって海外に渡ればいいものか悩んでいました。その当時、私は帰化申請などに関する翻訳や通訳をしていたので、その当時から英語にはある程度自信がありました。そうして、ある日転職を決意し、インターネットで海外での就職にはどんな手段があるのかを調べていると、リクナビネクストなどの普通の求人サイトに海外現地採用の募集が載っていました。今はこんなに簡単に、海外での就職に応募できるのかと初めて感じ、直感で受けてみました。そうして私の海外就職、現地採用へのスタートが始まりました。

 

日本人の少ない海外で責任ある仕事をし、同時に語学力を伸ばしたい

私が受けた企業はフィリピンにあるプラスチックの原料を扱う日系の専門商社です。フィリピンは未踏の地でありながら、「やるなら今しかない」と思い、スカイプ面接までこぎつけました。私は海外に出て、最終的に日本に戻って語学スキルを活かしたかったので、自分の英語のスキルを伸ばしたかったのです。ですので、公用語が英語のフィリピンを選びました。私のTOEICのスコアは860あり、流暢ではないものの、ある程度読み書きにも不便はしませんでした。また、会話も学生のうちに国際交流を続けていたので、英語はある程度話すことができたのです。
また、フィリピンは日系の企業が多く集まる国で、特にその当時は製造業が盛んに進出していました。ですので、ここで働けば日系の企業と大きな仕事ができるのではないかという期待もありました。

 

挑戦をするなら20代と決心

日本にこのままとどまって何年も過ごすより、一大決心をして他の人がやったことがないような仕事ができるのではないかと夢見ていたのです。
もちろん、フィリピンは治安もあまり良くないことも知っていましたが、20代のうちしか無茶なことはできないという思いと、日本ではやらせてもらえないような仕事をしてみたい!という一心で自己アピールをしました。自分は何事も恐れないで挑戦するという姿勢を見せて、第一次のスカイプ面接は終了しました。その後すぐに、次回の面接の案内が来て、私は最終面接を受けることになりました。

(R.N)

 

《略歴》
大学院卒業後、法律事務所で勤務
2012年5月:フィリピンにて日系化学商社に就職
2014年3月:退職
現在:ベトナムでの現地採用就職を経て、日本で翻訳・ライターのフリーランスに

 

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CASE04:タイ/カスタマーサービス【現採後の現採】

現採経験が人生を決断する時の基盤に

タイを離れヨーロッパへ

タイでのお仕事は2013年前に辞めてタイからも離れ、今はヨーロッパに住んでいます。
仕事を辞めたのは、タイに来た当時から「30歳になるまでにタイ以外の他の国に移住する」と自分に約束をしていたためです。私は大学を卒業してすぐ来タイしましたが、タイだけしか知らない状態にしたくなかったこと、アジア以外の違う大陸(ヨーロッパか南米)に移住して、色々な世界を見たいと考えていました。
自分との約束を果たすためにそろそろタイを離れないといけないなーと思っていた頃、休暇中インドを旅行していたときにたまたま今の夫(西洋人)に出会い、半年後仕事もキリがよいところまで働けたので円満退職し、タイを離れました。会社員時代は長く休むことができなかったので、とりあえずヨーロッパを3か月旅行してみました。ヨーロッパ旅行中にいろいろな人に会って話したり、美術館をまわったりしたことで次にやりたいことが見つかり、2年間デザインの学校に通って勉強し、その後結婚に至りました。今は夫と動物たちと共に、ヨーロッパの片田舎に住んでいます。
私自身は数か月ほど前から翻訳などフリーランスの仕事を中心に活動を始めました。タイにいた頃のように現地で就職するかどうかはまだわかりませんが、そうなったとしてもまたタイにいた頃を思い出して1から頑張れると思います。何かを新たに決断するときもバンコクでの経験が後押ししてくれます。

 

インターナショナルな多様性が視野を広げてくれた

タイではインターナショナルな環境に身を置くことで多様性をダイレクトに感じることができ、日本にいるときよりも多くのことを吸収できたような気がします。はるかに視野が広がったと思いますし、また良い意味で距離感を持って日本の良い面や悪い面も捉えることができるようになりました。タイにいる行動派の面白い友人たちに出会えたことも宝です。バンコクでの生活は彼らとの出会いによって活気に充ちていました。苦い経験も沢山ありましたが、それを上回るくらい楽しくキラキラしたタイ生活だったと自信をもって言えます。出会った方々に、そして懐の深い微笑みいっぱいのタイ人とタイ国に感謝しています。
海外での就職は、もちろん簡単なことではありませんが、自分の頭で考えることができ、流されない人であればきっとうまくいくと思います。タイは親日家が多く、日系企業も多く進出していますし、日本人コミュニティもあるのではじめての海外生活に不安な方でも比較的挑戦しやすいのではないでしょうか。
今こうして、バンコクで生活していた当時を書くのは、とても懐かしくまたうれしくも感じます。もし私の経験が、海外での就職を考えている人のきっかけや後押しになれたらとてもうれしく思います。ありがとうございました。

(A.W)

 

《A.Wさんの就労時の基本情報》
◎就労国・都市:タイ・バンコク
◎業種:国際物流、海上輸送、航空輸送、輸出入、通関など
◎職種:カスタマーサービス、営業、マネージメント
◎氏名:A.W 
◎年齢:20代前半(就労開始時)
◎期間:2006年から約7年
◎結婚:独身

 

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